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KITAHARA COLUMN キタハラコラム

第3回 事業戦略と人事戦略キタハラコラム

人材という経営資源の特性

企業が事業を展開するには、ヒト、モノ、カネと言われる経営資源が必要です。ヒトとは人材や人脈を指します。モノには、商材、技術力、ブランド力などが含まれます。カネは資金や信用力のことです。

これら経営資源の中で、「人材」は他とは異なる特性をもっています。それは、「動機付けによってパフォーマンスが異なる」という特性です。人材は、ヤル気があるかないかにより、生み出す成果が大きく異きます。「事業の成功は、人材が成功への強い気持ちを持っているかにかかっている」といって過言ではありません。これは皆さんよくご存じの通りです。

モノやカネに、この種のパフォーマンスの変動はありません。コンピュータの処理速度が遅ければ、それは技術的な問題であり、そのコンピュータのヤル気の問題ではありません。資金運用のパフォーマンスは、決断を下す人材のパフォーマンスに依存するのであり、資金そのものに対する動機付けが経営課題になることなどありません。

人事部の本業とは、このような特性をもつ人材という経営資源を動機付け、その持てるパフォーマンスを最大化に引き出すことにあります。ヒトのヤル気とは、言葉の使い方一つで変化する、とてもうつろいやすいものです。人材を動機付け、ヤル気を引き出し、それを事業の成功に結びつけることが、人事部の本来の役割です。

事業戦略と人事戦略は密接に結びついています。両者は時代の変遷を経て、その役割を大きく変えてきました。今回は、

  • 高度成長期
  • バブル崩壊期
  • 10年の空白期
  • 回復期
  • 現在

という5つの時代において、事業戦略と人事戦略がどのように変化してきたかを見ていきます。そしてこの変化の末に、今日の人事部がどのような期待を背負っているのかを明らかにしたいと思います。

高度成長期の事業戦略

80年代後半に発生したバブルは、いわゆる「戦後日本型システム」が極限まで機能した結果でした。限界を超えて針がレッドゾーンに飛び込んだとき、バブルはあえなく崩壊してしまいました。

今にして思えば、戦後日本型システムは、日本という閉鎖された市場においてのみその効果を強力に発揮する、進化の袋小路に入り込んでいたように思えます。一つのシステムに盲従してそれを突き詰めていく限り、いずれにせよ出口はなかったのです。繁栄の裏側で、制度疲労は着実に私たちの内面を蝕んでいました。

戦後日本型システムという言葉を聞くと、80年代の前半、私が働いていた職場での出来事を思い出します。新しく人事部門に配属された新卒達に対して、上司の人事課長が歓迎の言葉を述べる場がありました。彼が高らかに宣言したのは、「君たちの使命は、戦後脈々と諸先輩方が築き上げてきた日本型システムを、守っていくことにある」ということでした。

変化することではなく、変化しないことを彼は入社したばかりの新卒社員に求めたわけです。当時の私が受けたショックは、今でもはっきり覚えているぐらい、尋常ならざるものでした。

ともあれ、今回の「頭サル」は日本の高度成長を支えた事業戦略のお話です。次回は成長期の人事戦略について解説し、さらに、バブル崩壊期、10年の空白期、回復期、そして現代という各時代の事業戦略と人事戦略について述べていきます。各時代の特徴を明らかにするために、やや物事を単純化しすぎているところがありますが、どうかお許しください。

さて、高度成長期です。この時代の事業戦略のキーワードは、「横並び」でした。他社と差別化された製品を生み出すことよりも、他社と似たような製品を他社よりも安く提供することに、企業はしのぎを削っていました。「まだライバル会社が市場に出していない製品を、何故当社が先に出さなければならないんだ」などという経営幹部の発言に、それほどの違和感を覚えない時代でした。今でしたら噴飯ものですけれど。

ユニークさが求められないこの時代、製品の競争力の指標となったのは、「累積生産量の近似値としての市場シェア」でした。当時の多くの経営書には、「シェア3位以内の製品だけが生き残る」と書いてあります。

累積生産量の近似値としてのシェアとはどういう意味なのか。その答えは、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が提唱した「学習曲線(ラーニング・カーブ)」にあります。学習曲線とは、「累積生産量が増加すると、その業務に関する経験則が積み上げられる。経験則が積みあがると、製造、思考、作業の効率が高まり、単位当たりのコストは減少する」という、BCGの発見です。

すなわち、シェアが高いとは累積生産量が高いことを意味し、累積生産量が高ければ単位コストは低くなります。規模の経済とあいまって、シェア1位の企業は2位の企業よりも売上高が大きく、しかも単位コストは低くなるわけですから、誰もが大量一括生産によるシェア第1位を目指しました。

「大量一括生産によるシェア獲得」という事業戦略を採用するとき、必要となる経営資源は人材よりもむしろ資金です。製品にコスト以外の差別化を求めないのであれば、人材にユニークさを求める必要はありません。それよりも、より大きな資金を調達して、より大きな生産設備を手に入れ、より累積生産量を上げて、「シェアを奪い取ると同時にコストを下げる」ことが、事業戦略の要諦でありました。

高度成長期における事業戦略の基本は「横並び」であり、そこは、調達できる資金量が重要な意味をもつ世界でした。

高度成長期の人事戦略

高度成長期の「横並び」という事業戦略は、そのまま企業の人事戦略にも反映されていました。年功序列という仕組みがそれです。

たとえば組織変更を検討するとき、対象となる社員の卒業年次は常に重要な意味をもっていました。かなり高位の役職に達するまで、年次を逆転して上下関係をつけることはありませんでした。社員は、一定の年月を経るごとに昇給・昇格することを期待し、それは組織ピラミッドが拡大している間は、常に報われていたのです。

横並び人事を基本とする限り、個々の社員間の格差はわずかなものです。むしろ、年功を経るに従って生まれてくる格差をわずかなものにとどめ、しかもできる限りその差に気づかせないようにすることが、人事評価の極意のように言われていました。

ここで私が指摘したいことは、年功ごとに横並びにするという人事戦略が、戦後日本型システムにおいては実にうまく機能していたという事実です。経済が拡大基調で、横並びという事業戦略が有効な経営環境下では、社員一人ひとりに差をつける戦略よりも、集団に対する安心感を与える戦略の方が、社員の動機付けとしては有効だったのです。

誰もが一生にわたって同じ企業に働けるわけではありませんでしたが、それでも職の安全は、慣習としても法の運用としても、厚く保証されていました。企業と社員の双方が長期間の雇用関係を期待し、多くの人事施策がその期待を背景として作り上げられました。

米国の研究者による日本企業礼賛論が登場したのもこの頃です。終身雇用、年功序列、企業内組合という3種の神器が、日本企業の強さの源泉であるかのように言われていました。

それを鵜呑みにして、米国を見下す発言を繰り返す政治家や経営者も出てきました。外部の褒め言葉に踊らされ、自らシステムの自画自賛を始めると、だいたいにおいてそのシステムは終焉を迎えるものです。残念ながら戦後日本型システムも例外ではありませんでした。

戦後日本型システムは、絶頂から崩壊へと一気に滑り落ちました。横並びで戦後45年間を過ごすことができたのは、経済や組織ピラミッドが基本的に拡大基調にあったからです。その環境しか知らずに過ごしてきた企業と社員は、いきなり、経済も組織ピラミッドも縮小するというサバイバル・ゲームの中に投げ出されます。

企業と社員が「横並びから差別化へ」と移行するのには、空白の10年と言われる時間とIT革命が必要でした。次回は空白の10年の最初のステージ、バブル崩壊期の事業戦略と人事戦略についてです。

バブル崩壊期

90年代初頭、バブルは崩壊しました。その後、10年以上にわたり日本は、バブルの後遺症に苦しむことになります。

この時代の事業戦略の特徴を一言で表せば、「なりふりかまわず」ということになると思います。「そんなものを事業戦略とは呼ばない」というお叱りを受けるのは重々承知しております。しかし、企業の生き残りを賭け、戦後日本経済を作り上げてきた仕組み断腸の思いで放棄していく決断は、凄まじいものであったと思います。

この時代の人事戦略を考える上で、極めて象徴的な出来事が93年に起こりました。音響機器メーカであるパイオニアが、従業員の指名解雇に踏み切ったのです。しかも、「業績の悪い50代の社員から解雇する」という発表をメディアに対して行いました。

この「パイオニア・ショック」と呼ばれた出来事に前後して、日本企業は3種の神器を次々に放棄していきます。まず終身雇用を保証できなくなりました。続いて年功序列が崩壊しました。そして、「雇用の継続」という最後の一線を守れない企業内組合は、その存在意義を大きく変化させました。

この時期、議論されたのは「企業倒産か、人件費削減か」といった二者択一の命題でした。3種の神器に替わる人事戦略もないままに、企業は人材をコストとしてとらえ、なりふりかまわずその削減を追い求めました。

私はちょうどその時期、5年半の米国勤務を終えて日本へと帰任してきました。帰国と同時に、米国労働法の解説書を出版した私に対し、多くの方々から「米国企業はレイオフできるから楽だよねえ」という感想をいただいたことを覚えています。

確かに米国にはレイオフという労働慣行とこれを認める労働法があります。しかし理解していただきたいのは、レイオフや解雇を認めると同時に、その乱用を防ぐ法律も整備されているということです。例えば、性別、年齢、国籍、人種などを理由として人事上の決定を下すことは、雇用差別禁止法により固く禁じられています。長い差別の歴史を経て、労働者のためのセーフネットが準備されているのです。

しかし日本では、パイオニアの例でわかるように、年齢を理由とした人事上の決定がごく普通に行われています。レイオフを行うのであれば、公平で公正な人選と、それを裏付ける法律上の事前準備が欠かせません。企業の都合に合わせて自由にレイオフできるなど、日本人の夢想に過ぎないのです。

そして次の10年間で、終身雇用と年功序列は完全に葬り去られます。

10年の空白期

バブル崩壊に続く10年の空白期、日本企業は事業戦略を組み立て直します。横並び戦略から脱却し、自社にしかできない強みを探し出そうとする動きが出てくるのがこの時期です。なんでも揃えてある総合型から、コアとなる専門分野に集中し、本業以外は切り離そうという動きも見られるようになります。企業グループの壁を越えた統合再編も進みました。

人事戦略も、バブル崩壊当初の混乱から立ち直り、再構築の機運が高まってきます。なりふりかまわず解雇するといった行動は影を潜め、解雇やレイオフといった決断を正当化する論理付けが試みられます。その代表が「会社は株主のもの」という議論、いわゆる株主主権論です。

高度成長期の日本においては、経営上の決定を下すという行為と、決定を実行するという行為が、分かちがたく結びついていました。経営上の決定を下す役割を背負う取締役は、決定を実行する役割を果たす社員より選出されます。社員に不利な決断を下しにくくなるのは、避けがたい帰結です。

株主主権論は、「社員に不利な決断を下しにくい」というバリアを取り除く錦の御旗として機能しました。

会社は社員のものではなく、資本を供出した株主のものである。そして取締役会の役割は資本の論理に従った決断を下すことである。株主価値の最大化に役立つのであれば、取締役会が人員削減という決定を下すことは、株主主権論の立場から正当化できる。このようなロジックが広く信じられるようになりました。

申し上げるまでもなく、このロジックは米国からの輸入品です。なぜ米国ではレイオフが容認されるのかが研究された結果、株主主権論は資本主義の大原則であり、それはグローバル・スタンダードであるかのように取りざたされました。

米国から輸入されたのは、株主主権論というコンセプトだけではありません。年功序列制に替わる人事制度を探していた日本企業は、Management by Objectives (MBO)という評価制度に飛びつきました。MBOは、日本語では目標評価制度と呼ばれています。他にも、コンピテンシー評価(行動プロセス評価)、360度評価などが話題になったのもこの時期です。

MBOは、トップダウンを特徴とする米国の企業文化の中で培われた制度です。まず企業目標があり、それを実現するための部門目標があり、それが個人目標に落とし込まれます。企業目標を共有し、その達成に向けて社員の行動を同期させるというのが、MBOの第一の役割です。

そのような特徴をもつMBOを、年功序列に替わる人事制度として組み入れようとした日本企業は、当初大混乱に陥りました。企業目標や部門目標が示されないまま、第一線の管理職がボトムアップでそれぞれの個人目標を設定したのです。整合性のとれていない目標の達成に向けて、管理職がそれぞれ奮闘努力するといった事態が現出しました。

しかし、横並びから差別化へと企業の事業戦略が変化するにつれ、目標評価制度は日本でも安定して運用されるようになってきました。差別化戦略にはトップダウンが不可欠だからです。目標評価制度は、いまや行動プロセス評価と並び、日本企業の代表的な評価制度として成熟してきました。

回復期の事業戦略

21世紀を目前にして、日本にもIT(Information Technology)革命が上陸します。情報処理技術のビジネスへの応用範囲の拡大もさることながら、その本質はチープ化です。規模の経済を得るための投資が、4桁も5桁も下落してしまったのです。

CPUやメモリーがチープ化したために、一昔前のメインフレームコンピュータの数百倍の性能のサーバが数百分の一の価格で手に入るようになりました。オープン化の進展により無料のソフトウェアが登場し、インターネットの普及により通信費が定額制に変わりました。

新興企業であれ、ごくわずかの設備投資で、デジタルデータ処理のための最新設備が手に入るようになりました。IT革命は、新たなビジネスモデルを次々と生み出すのに十分なインパクトをもっていました。

これを機に、経営資源としてのお金と人の価値は逆転を始めます。お金に比べて人の価値が、相対的に(おそらく不可逆的に)、上昇し始めたのがこの時期の特徴です。

横並びの時代は、より多くの資本を集め、より大きな設備投資を行うことが、勝者となるための第一条件でした。人材の質はむしろ横並びが好まれました。突出した人物は必要なかったのです。

しかし、誰もが安価に最新設備を入手できるIT革命の時代、設備そのものを差別化要素とすることは不可能になりました。高性能のサーバがコモディティとして市場にあふれ、オペレーティングシステムで首根っこを押さえられる心配もありません。そしてブロードバンド・インターネットという太い配管を誰もが利用できるのです。

差別化を生み出すのは、資本の多寡よりも、人間のアイデアだという時代の到来です。

この時代、ITを基礎にした様々な新興企業が登場しました。ナスダック・ジャパンなど新興企業のための市場も開設され、ドットコム銘柄がもてはやされました。チープ化を背景に、アイデアで勝負する若い経営者が経営誌の紙面を飾り、その熱狂はITバブルを生み出しました。

回復期の人事戦略

IT革命がバブルを生み出した日本経済の回復期、これまでの日本にはなかった人事戦略が登場しました。米国生まれのストック・オプション制度です。

ストック・オプション制度は、株式の希薄化を原資としています。既存株主の権利を損なうことにより、株価上昇の恩恵をリスクなしに享受するという特徴は、「ストック・オプションを受け取った社員は株式価値の向上に向けて邁進する」という理由づけで、正当化されました。税制面での整備も進み、少なからぬ企業がストック・オプション制度を採用しました。

その恩恵を最も受けたのは、言うまでもなく、新規公開企業です。中でも脚光を浴びたのは、巨額の公開益を上げIT長者とまで呼ばれた創業者達でした。その姿をみて、自分もシンデレラストーリーの主役となろうと、大企業から新興企業への人材移動も起こりました。

「金で買えないものはない」と言い切るIT長者まで登場しました。その後逮捕されてしまうわけですが、今頃は「信頼は金では買えない」ということを学んでいるのではないでしょうか。

さて、かくいう私も当初はストック・オプションを信奉する一人でした。IT企業において、様々な形で株式公開を支援し、ストック・オプションを応用していました。

しかしその効果に大きな疑念を抱き始めたのは、株式公開とともに退職する社員が増加したときです。企業にとって株式公開は、新たなスタートです。しかし、ストック・オプションによる公開益を目指して入社してきた社員にとって、株式公開はゴールです。金銭的報酬を自らの動機付けとしている社員は、その目的を達成したとき、あるいはその目的が達成できないとわかったとき、退職という道を選びます。

私はストック・オプション制度を否定しているのではありません。しかしおそらく、金銭的報酬は結果として付いてくるものであり、金銭的報酬そのものを動機付けとしてはならないのです。まわりくどい言い方で恐縮ですが、「金で買えるのは、金で買える人間だけ」なのです。もっと普遍的な、もっと長持ちする動機付けが、人事戦略としては必要です。

日本がITバブルで盛り上がっているころ、本家本元の米国では、エンロンやワールドコムといった事件が起こり始めていました。株価至上主義は、事業戦略においても人事戦略においても、綻びを見せ始めていました。

そして現代

ライブドアによるニッポン放送買収と、そこから派生したライブドア事件や村上ファンド事件は、ITバブルの終焉を象徴的に示していました。それは「金で買えないものはない」というバブル特有の考え方に対する、強烈な反動でもありました。

最初に起こった兆候は、「もしもニッポン放送の経営権がライブドアに移った場合、番組を降板する」という意志を、中島みゆき氏やタモリ氏が表明したことでした。「ニッポン放送による焦土作戦?」などという論説が登場したことも記憶に残っています。

看板パーソナリティが辞めてしまえば、いくら資本の論理を貫いて買収を強行したとしても、残っているのは放送免許と設備だけです。人が誰もいない焼け野原に、巨額の買収資金ほどの価値がないことは明らかです。

自社を他社から際立たせる差別化要因を作り出すのは、放送免許と設備ではなく、番組を作る人々です。金で買えないものがあるのだということを、誰もが(おそらく堀江貴文氏もが)理解した瞬間でした。

そして、法律に違反してまでも、自社の株価、あるいは自社が運営するファンドの価値を吊り上げようとした堀江貴文氏と村上世彰氏が逮捕されたところで、株価至上主義の時代は終わりを迎えます。いずれバブルはまた発生し、はじけることでしょう。とりあえず今回は終わったということです。

株主主権論に対する論駁が登場したのもこのころです。東京大学経済学部教授である岩井克人氏は、その著書「会社はこれからどうなるのか」、「会社はだれのものか」の中で、会社は株主のものではないという主張を展開しています。それはグローバル・スタンダードでさえないのです。

世の中の雰囲気も、今のところ、これらの動きを是認する方向に向いています。バブル時代の「Winner takes all !」という言葉は、「格差社会是正」というスローガンに置き換えられました。莫大な公開益をもたらしてきたストックオプション制度に対する税制も強化されました。企業情報の適時開示やガバナンスが強く求められるようになり、新興市場は低迷を続けています。

しかしバブルを契機として生み出されたすべてのものが否定されたわけではありません。IT革命の結果、差別化要因を生み出す力の源は、資金から人材へとシフトしました。限られた地球資源を有効に使おうという流れとあいまって、人材をより重視するトレンドは、今後とも変わることなく続くと思います。

人事部の今日の課題

「頭の上のサルを追い払おう」第3回では、高度成長期から現代までを5つのステージに分け、企業の事業戦略と人事戦略の変遷について解説してきました。そのエッセンスは、次のとおりです。

まず、IT革命の結果として、差別化要因を作り出す経営資源は、資金から人材へとシフトしました。資金よりも人材の方が手に入りにくい時代になったのです。

この人材という経営資源には、いかに動機付けられるかによって、生み出すパフォーマンスが上下するという特徴があります。これは、資金や設備といった他の経営資源にはない特徴です。

そこで人材を動機付けるために、高度成長期には3種の神器という制度が活用されました。しかし今日、終身雇用や年功序列を保証できる企業などありません。

またITバブル期には、「お金で買える」というコンセプトが提示されました。このコンセプトも100%正しくはなかったようです。お金が動機付けの万能薬になるわけではありません。

3種の神器が放棄され、アンチテーゼとしてのお金も否定され、いま企業は、なにをもって人材を動機付けるのか、その手段をもたないままでいるのです。

私は、今日の人事戦略上の課題は、まさにこの点にあると思います。「なにをもって人材を動機付けるのか」という疑問に回答することです。人材のパフォーマンスは、扱われ方によって、倍増もするし半減もします。人材を的確に動機付け、企業の発展のために、差別化要因を生み出してもらわなければならないのです。

そしてこれこそが、人事部のコア業務です。人事部は、日常人事業務に振り回されている場合ではありません。人材を動機付け、事業戦略の実現に貢献することに、人事部の本業はあるのです。

だいぶ長くなった第3回「事業戦略と人事戦略」は、ここでいったん区切ります。章を改め、第4回では「人事部のコアとコンテクスト」につき解説していきたいと思います。