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KITAHARA COLUMN キタハラコラム

第4回 人事部のコアとコンテクストキタハラコラム

Attraction and Retention

当コラムの第1回では、ジェフリー・ムーア氏の定義する「企業のコア業務とコンテクスト業務」について解説しました。第3回では、高度成長期から現代までを5つのステージにわけて「事業戦略と人事戦略」の流れを概観し、人事部の今日の課題を明らかにしました。

10年の空白期を通じて、高度成長期の3種の神器は放棄されました。ITバブル期に登場した「金で買う」という手法も、既に否定されました。今日の企業はまだ「なにをもって人材を動機付けるのか」を探し出せずにいます。この疑問に回答することこそが、今日の人事部に課せられたミッションだと私は思います。

80年代後半から90年代前半にかけて、私は米国のシリコンバレーで働いていました。そのとき、現地の人事マネージャーに人事部のミッションは何かを尋ねたことがあります。彼女からは即座に、「Attraction and Retention」という回答が返ってきました。

Attractionとは、労働市場における競争力を向上させ、良い応募者を惹きつけることを指します。Retentionとは、モチベーション高く働いてもらうための環境を作り上げ、良い社員を辞めさせないことを意味します。人事部はまさにこの役割のために存在するのです。この説明を聞いたとき、私は本当に目から何枚もの鱗がはがれ落ちる思いをしました。

日本企業の人事部で育ってきた私にとって、「労働市場における競争力」などという発想はありませんでした。でもちょっと考えてみれば、彼女の指摘の方が正しいことがわかります。優秀な人材は限られており、その人材をいかにして惹きつけるかによって企業の競争力は上下するのです。

開発部や営業部が製品市場において他社と競争するのと同様に、人事部は労働市場において、人材を巡って他社と競合するのです。そこで良い人材を惹きつけるためには、説得力のある事業計画、ブランドの認知、広報・宣伝活動、面談の場における売込み、あるいは報酬の交渉といった各要素を同期させ、労働市場における競争力を高めていかなければなりません。

米国企業の人事部は、開発部や営業部と同様に、市場競争に打ち勝つというミッションをもっているのです。

人事部はまた、獲得した人材が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を社内に作り上げることに責任をもっています。社員を高く動機付けることは、企業業績向上に直結します。評価、報酬、福利厚生といった人事諸制度、あるいはビジョンの共有や円滑なコミュニケーションといった人事施策は、すべて優秀な社員を引き止めることを目的にしているのです。

企業競争力の向上に貢献する人事部は、もはや、コストセンターと呼ばれることはありません。

人事部はコストセンターではない

米国企業において給与支払い業務(Payroll)は、財務部の管轄です。人事部は、給与を決定する役割をもっていますが、その支払い実務には関与していません。そして今やほとんどの企業が、Payrollをアウトソーサに任せています。

健康保険や企業年金の管理・運用(Benefit administration)もアウトソーサに外注されています。福利厚生制度の設計や、401k制度のための投資信託を選定する決定権は人事部にあります。しかし、福利厚生制度や401kを日々運用する業務はすべて外部に出されています。私が帰国してから既に15年、今ではさらに幅広い範囲の業務が、アウトソーシングされているに違いありません。

では、人事部に残っているのはどのような役割でしょうか。

まず制度設計です。人事部は、Attraction and Retentionを実現するために、評価、報酬、健康保険、企業年金、賞罰、組織、教育訓練、コミュニケーションなど、様々な人事政策のコンポーネントを設計していきます。

報酬(Compensation)の決定も人事部の役割です。米国の場合、報酬のバランスをとるためのベンチマークとなるのは、自社内の同一職種だけではありません。その地域の同業他社の似通った職種に対して競争力かあるかどうかを確認しながら、報酬は決まっていきます。

優秀な応募者を惹きつける採用(staffing)も、人事の専門領域です。米国企業の採用担当者は、開発プロジェクトの初期段階から、プロジェクトチームに入り込みます。開発部の責任者と一緒に、プロジェクトを成功に導くための組織図を描き、一つひとつのポジションに必要なスキルセットを抽出していきます。社内で充足できないスキルセットが明らかになれば、公的な募集手段だけではなく、自身がもっている人的ネットワークを駆使しながら、人材を探し出しポジションを埋めていくのです。

開発プロジェクトのキックオフや、成功裏に終わったときのお祝い会には、必ず採用担当者もメンバーの一員として招待されます。優秀な採用担当者は、プロジェクトを成功に導くために欠くことのできない貢献者であることが、事業部門にも広く認識されているのです。

そしてもう一つ、ER(Employee Relations)も人事部の重要な役割です。ERは、企業から社員への情報を発信し、逆に、社員が企業に伝えたいと思っている情報を受け止めます。

コミュニケーション・ミーティングを主催して経営陣と社員との対話を実現すること、企業のビジョンや事業計画を社員に伝えること、社員の不満を吸い上げ、彼らが退職の決断をする前に対処すること、あるいは社内に潜む訴訟リスクを事前に察知すること等がERの役割です。

いずれの職務も高度にプロフェッショナルな役割であることが、おわかりいただけると思います。米国企業の人事部は、コンテクスト業務である日常業務を外部に出し、自らは企業の競争力に貢献するコア業務にのみ集中しているのです。