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KITAHARA COLUMN キタハラコラム

第1回 コアとコンテクストキタハラコラム

頭の上には猿がいる

仕事をしている皆さんの頭の上には、いつもサルが座り込んでいます。イタズラ好きなこのサルは、ときおり仕事の邪魔をして皆さんを困らせます。皆さんは気の休まる暇がありません。

このサルは、あなたが目を離した隙に、書類をゴミ箱に投げ捨てたり、決算書の数字を書き換えたり、あなたの目や耳をふさいで部下からの報告を受ける邪魔をしたりすることがあります。でも実際にそんなイタズラをしてあなたを困らせるのは、どちらかというと稀なことです。あなたに具体的な被害が及ぶことは、それほど頻繁にはありません。たいていの場合、サルは頭の上におとなしく座っているだけです。

ではいったいサルのどこがあなたを困らせるのでしょう。

それは、「サルが邪魔していないこと」をあなたが常に確認しておかなければならないからです。たいていはおとなしいサルですが、いつイタズラを仕掛けてくるのかわかりません。どんな種類のイタズラなのかもわかりません。それがあなたを悩ませるのです。

なにしろサルには多くの前科があります。頻繁ではないにせよ、イタズラがゼロになることは決してありません。サルは、思わぬ事件を思わぬタイミングで引き起こす才能に長けています。マーフィーの法則にあるように、「最悪の事件を最悪の相手に最悪のタイミングで引き起こす」こともあります。

サルとの付き合いが長くなるにつれ、あなたはサルの癖を徐々に読めるようになります。でもその裏をかくように、サルは常に新しいイタズラをあなたに仕掛けてきます。

サルがいつ、どこで、どんな事件が引き起こすのかを完全に予測することは不可能です。「目の前の数字は、サルが書き換えていない正しいものである」という自信をもつために、あなたはいつもサルを監視していなくてはなりません。あなたの時間の何%かは、常に「サルを監視する」という業務に振り向けられます。

管理職やプロジェクト・マネージャーを悩まし続けるサル監視業務は、「マネジメント・アテンション」と呼ばれます。

マネジメント・アテンションに悩む管理職

サルを監視する作業は、「マネジメント・アテンション」と呼ばれます。管理職の仕事の一定の割合は、常にマネジメント・アテンションに割かれています。

管理職は、部下が出してきた数字が正確かどうかで悩みます。でもその悩みよりも前に、そもそも部下は期日までに数字を出してくるのか、そのための作業は順調に進捗しているのか、正しい人に正しい依頼をしているのか、数字の集計単位は自分が考えている通りか、忙しくて疲れているようだが残業のしすぎではないか、年末の宴席ではキャリアアップという言葉が聞こえてきたがまさかこのタイミングで退職しないだろうか、といった悩みがイモヅル式に出てきます。

この悩みを解決する方法はただ一つ、注意力を発揮して、自分で確認することしかありません。

管理職の心には、マネジメント・アテンションを怠ったが故に痛い思いをした過去の記憶が、深く刻み込まれています。記憶はさらに過去の記憶への連鎖を生み、サルを監視するためのチェックリストは分厚くなるばかりです。

管理職の仕事の何割かはマネジメント・アテンションに割かれていること。そして実は、「マネジメント・アテンションこそが管理職の仕事の重要な一部分」であることをご理解いただけますでしょうか。

企業が利益を生み出すには、人、物、金といった経営資源が必要です。経営資源が豊富にあるという贅沢な環境に恵まれることはめったにありません。企業は常に、希少な経営資源をいかにして活用するかに頭を悩ませます。

多くの企業において不足がちな経営資源は人材でしょう。いまや金や物よりも「人」が足りない時代なのです。中でもマネジメント・アテンションの能力を持っている管理職は、最も希少な経営資源です。事業の成功は、このマネジメント・アテンションという希少な経営資源をどう有効に活用するかにかかっています。

本コラムは、管理職の頭の上に座り込んでいるサルを追い払い、希少なマネジメント・アテンションをもっと有効な振り向け先に使うために、企業はいま何をすべきかを解説します。

「頭の上のサルを追い払おう!」という本コラムのタイトルは、米国の著名なコンサルタントであるジェフリー・ムーア氏の著作「企業価値の断絶(原題:Livingonthefaultline)」から頂戴しました。彼が使っている「背中のサル(amonkeyonyourback)」という言い回しをちょっと変更しております。「頭の上のサルのせいで、いつも頭が重い」という図柄の方が、マネジメント・アテンションの話をイメージしやすいと考えた次第です。挿絵は今村瑠璃画伯にお願いしました。

本コラムはジェフリー・ムーア氏の優れた考察の影響を大きく受けております。しかしもちろんそれだけではありません。読者の皆様を飽きさせることがないよう、人事戦略や情報技術から企業経営まで、幅広い分野を跳びまわりながら議論を進めていくつもりです。

もちろん当社ラクラス株式会社のサービス「Lacrasio(ラクラスイオ)」が、マネジメント・アテンションの回復に絶大な効果をもつこともアピールさせていただきます。

コア業務とコンテクスト業務

米国の著名なコンサルタントであるジェフリー・ムーア氏は、その著書「企業価値の断絶(原題:Livingonthefaultline)の中で、企業が遂行すべき業務を二種類に分類しています。一つがコア業務、もう一つがコンテクスト業務です。

コンテクストという英単語には、私たちがよく使う「文章の文脈」という意味のほかに、「背景」、「状況」、「場面」といった意味があるそうです。私は、舞台で演ずる役者がコアで、舞台を舞台ならしめる大道具や小道具がコンテクストかな、などと想像しています。

大道具や小道具は確かに欠くことのできない舞台の一部です。しかし役者がいない舞台など、いつまでも見続けることはできません。中心になるのは役者であり、舞台装置は役者の熱演を助けるだけです。

ジェフリー・ムーア氏はコア業務を、「企業がターゲットとする市場における自社製品あるいはサービスの優位性に、直接の影響を与える業務」と定義します。コア業務は、企業が他社の製品・サービスに対して差別化を進めていくための鍵です。言うまでもなくその目的は、他社に対する競争優位性を継続して生み出し、その差を守り続けることにあります。

企業は、社内のあらゆる経営資源をコア業務に投入して、可能な限り競争相手に差をつけなければなりません。

競争優位性という単語を聞くとすぐにマイケル・ポーター教授の名前が浮かんできます。競争優位とは、ある産業構造あるいはビジネスの仕組みの枠内での、競合相手に対するビジネス上の優位性を指します。教授は、サプライヤーとの関係、顧客との関係、競合、新規参入企業、および代替製品という5つの力から、競争優位性は説明できるとしました。

競争優位性の獲得以外を目的とする業務は、すべてコンテクスト業務と呼ばれます。コンテクスト業務は、コア業務を遂行するための、大道具であり小道具であり背景です。ある一定のレベルを満足させることは必要ですが、そのレベル以上を目指してお金をかけたところで、お客様が増えるわけではありません。お客様は役者を観にきているのであって、舞台装置の出来映えを鑑賞したいわけではないのです。

コア業務の目標が競争優位性の獲得であるのなら、コンテクスト業務の目標は効率です。

企業は、コンテクスト業務をできる限り標準的なやり方で、効率を最優先して遂行しなくてはなりません。なにしろコンテクスト業務にいくら経営資源を投入したところで、ライバルに差をつけることはできないのです。企業価値を向上させるためには、コンテクスト業務に充てる経営資源を極限まで削減し、それをコア業務にまわさなければなりません。

コンテクスト業務の嫌な特徴

ところでコンテクスト業務には、もう一つ面白い特徴があります。それは、「コンテクスト業務をいくらうまく遂行したところで誰も褒めてくれない。しかし失敗するとおおいに怒られる」という特徴です。コンテクスト業務の目標は効率でありながら、一定の作業品質を下回ると、さまざまなペナルティが課せられる場合があるのです。実に嫌な特徴ですね。

たとえば、企業にとって給与支払い業務はコンテクスト業務です。「わが社の競争力の源泉は先進的な給与支払いプロセスにある」なんていう企業はありません。企業の経営資源の消費を最小限に抑え、給与支払日に正しい金額が銀行に振り込まれていれば、それ以上のサービスレベルを追求することは無意味です。

なにしろ、どれほどサービスレベルを向上させたところで、企業の競争優位性は向上しないのです。コンテクスト業務は効率性が優先する業務であることを忘れてはなりません。

しかし同時に給与支払い業務は、ある一定の作業品質を下回ることが許されない業務です。支給日を遅らせることなどもちろんできません。計算を間違えれば社員に怒られます。源泉税や社会保険の支払いが遅れれば、政府機関から課徴金をとられます。

効率優先が原則ではあるけれども、一定のレベルを下回った瞬間、さまざまなペナルティが課せられるのです。

ジェフリー・ムーア氏は、冗談がてらに、「コンテクスト業務は衛生管理と考えるとわかりやすい」と言っています。「毎日きちんと風呂に入らなければ、必ず誰かに一言言われるだろう。だからと言って、毎日きちんと入浴したところで、昇進が約束されるわけではない」、と。いかにもアメリカ人的であります。

それでは企業は、いかにしてコンテクスト業務を処理していけばよいのでしょう。経営資源をかけることなく、かつ一定の作業品質を保つ方法はあるのでしょうか。ジェフリー・ムーア氏の結論は極めてシンプルです。氏は、「コンテクスト業務はすべてアウトソーシングしなさい」と言います。コンテクスト・アウトソーシングの勧めです。

アウトソーシングを勧める第1の理由

ジェフリー・ムーア氏は、「コンテクスト業務はすべてアウトソーシングしなさい」と主張しています。彼がコンテクスト・アウトソーシングを勧める第1の理由は、「あなたにとってのコンテクスト業務は、必ず他の誰かにとってのコア業務だ」であるからです。

コンテクスト業務を引き受けるアウトソーサは、毎日毎日その業務のことだけを考えています。あなたがコンテクスト業務に対して割いているマネジメント・アテンションが、アウトソーサのそれよりも多いと考える理由は一つもありません。

あなたよりアウトソーサのマネジメント・アテンションの方が少ないと感じたならば、それは他のアウトソーサに切り替えれば済む話です。一定レベルの品質を保てないことが問題であるのなら、それはそのアウトソーサの問題であり、アウトソーシング・サービスというビジネスモデルの問題ではないはずです。

なぜなら、彼らが生きているのは、その業務をコア業務とする、プロ同士の競争原理が支配している世界です。彼らとて競争優位性の獲得に、すべての経営資源を注ぎ込んでいるはずです。その中から、あなたにとって最適に差別化されたサービスを選び出せばよいのです。コンテクスト業務に関して企業に残すべき役割は、「アウトソーサを見抜く能力だけである」、とジェフリー・ムーア氏は言い切っています。

当社ラクラス株式会社は、人事情報管理をサービスとして提供しています。社員の人事情報という重要な個人情報をお預かりするからには、例えば、お客様の会社では実現できない高いレベルのセキュリティを実現しなければなりません。

そのようなレベルに到達するために、ラクラスは専任の技術者を雇用し、多大な投資を行って情報処理システムを多重化し、日々のバックアップやウイルス対策といった地道な作業を確実にこなしています。なぜそれだけの経営資源を投入し、体制を整えるかといえば、答えは一つしかありません。「それが私たちのコア業務」だからです。

アウトソーシングを勧める第2の理由

コンテクスト・アウトソーシングを勧める第2の理由は、アウトソーサの経済合理性です。

顧客が1社増えたときにアウトソーサが負担すべき「限界費用」は、その作業を社内の経営資源でこなすことで企業が負担する「総費用」より小さくなる、とジェフリー・ムーア氏は指摘します。つまり、「規模の経済性」の獲得に成功しているアウトソーサであれば、顧客数が1社増加することにより追加的に発生する費用は、仕組みをゼロから立ち上げるために企業が新規に負担する費用を常に下回るということです。

ここで重要なのは「規模の経済性」というキーワードです。本コラムでは、この先もこの「規模の経済性」という単語が頻繁に登場します。ご注意ください。

規模の経済性は、経済学でいう「限界費用逓減の法則」と同義です。つまり、規模の拡大に伴い、一定量のアウトプットを出すのに必要な費用は減少していくということです。

企業が仕組みを新規に立ち上げるのであれば、1単位のアウトプットを出すために必要な費用は1単位です。しかし、規模の経済性を発揮できるアウトソーサであれば、1単位のアウトプットを出すのに必要な費用は1単位をはるかに下回るものになります。

規模の経済性をどこまで実現できるかは、アウトソーサによって大きく異なります。単なる業務代行として、お客様と同じ業務を同じ人手をかけて同じ手順で行っているのであれば、規模の経済性のレベルは極めて低いものにとどまります。人手をかけて代行する限り、1単位のアウトプットを出すのに必要な工数はどこまで行っても1単位です。

しかし、情報技術をフル活用しているアウトソーサであれば、規模の経済性のレベルは極めて高くなります。情報技術は、規模の経済性を飛躍的に向上させる有効な手段です。規模の経済性を獲得できるビジネスモデルを保有しているかどうかは、アウトソーサを見抜くときの重要なポイントになることを、覚えておいてください。

アウトソーシングを勧める第3の理由

ジェフリー・ムーア氏がコンテクスト・アウトソーシングを勧める第3の理由は、近年における「サービス」という考え方の浸透です。

氏は「1インチの穴を開けるドリルが欲しいのではない。私が欲しいのは1インチの穴だ」とその著書に書いています。その通りですよね。欲しいのは壁に配線を通すための1インチ(2.5cm)の穴であり、ドリルというハードウェアではありません。開けたい場所に穴を開けることができて、削り滓がきれいに掃除されていれば、ドリルという機械そのものは不要なのです。

実に含蓄深い言葉ではありませんか。

コンテクスト業務の代表格である「給与計算」を再び例にとり、もう少し詳しく説明してみましょう。ジェフリー・ムーア風に言えば、「私は給与計算ソフトが欲しいのではない。給与計算結果が欲しいのだ」ということになります。ドリルであれば、1万円ほどの投資と100ボルトの電源、そして削り滓を吸い取る掃除機があれば、作業は簡単に完了します。多少のコツは必要でしょうが、何百ページものマニュアルを読む必要はありません。

しかし、給与計算ソフトを動かすのはドリルほど簡単ではありません。サーバやOS、ネットワークやウイルス対策など、多くの付属物を購入しセットアップしなければなりません。自社の給与制度に合わせるためには、数々のパラメータの設定も必要です。バックアップデータを毎日とり、ウイルス対策のパターンファールを更新し、法改正への対応やアップグレードもこなさなければなりません。

言うまでもなく、それらの作業を行うエンジニアも、それらの作業を見守るマネジメント・アテンションも必要です。

ソフトウェアを操作して、給与計算の結果を得るために企業が背負う工数は、ドリルを使いこなすための工数よりもはるかに多いのです。しかも、それだけの負荷を背負ったところで、企業の競争優位性は1センチたりとも前進しません。

アウトソーシングサービスとは、そのような負荷を企業に負わせることなく、給与計算結果だけを提供するサービスです。その結果を生み出すためのすべての経営資源はアウトソーサが負担します。これが「ソフトウェアのサービス化」と呼ばれる流れです。今日、この流れは留まることなく加速を続け、いまや具体的なサービスとしてその姿を現し始めているのです。

ここで宣伝をさせていただきますと、当社の提供する人事情報管理サービス「ラクラスイオ(Lacrasio)」は、ソフトウェアのサービス化の代表格であります。

コンテクスト・アウトソーシングの勧め

ジェフリー・ムーア氏の指摘をここでまとめておきましょう。

1.企業は、自社の保有するあらゆる経営資源をコア業務に振り向けて、競争優位性を生み出さなければなりません。
2.競争優位性を生み出さないコンテクスト業務は、すべてアウトソーシングしてしまうことが求められます。

こうして並べてみると、どちらも特に目新しい指摘ではありません。これまでにも多くの人々が同様の指摘を繰り返してきました。にもかかわらず多くの企業の現状は、これらの指摘とはおおいに異なっているように思えます。

過去のしがらみからなのか、変革への意欲が薄いのか、あるいは他の何らかの理由によるものなのか、コンテクスト業務を社内で処理する一方で、コア業務を社外に出している企業が実に多いのです。

例えばある企業は、コンテクスト業務である給与計算を社内で抱え込み、人事制度の設計といったコア業務を社外のコンサルタントに委ねています。評価、報酬、福利厚生といった人事制度の設計は、企業の事業戦略と深く関係しています。事業戦略はもちろんのこと、企業文化にも詳しい人事部が、その総力を振り絞って取り組むべきコア業務のはずです。

しかし多くの企業の人事部は、当月の給与を支払うといったコンテクスト業務に時間をとられ、むしろ制度設計の方を外部のコンサルタントに頼りきっています。これは逆ではないでしょうか。

情報システム部にしても同じです。差別化の源泉となる業務システムの設計を社外のコンサルタントに任せ、自分たちはサーバを24時間稼動させることに汲々としている情報システム部を見かけます。

サーバの監視業務であれば、それをコア業務として、過酷な競争環境の中で戦っているインターネット・データ・センター(IDC)に任せた方が、はるかに効率的です。もしもIDCのサービス範囲が狭いため自社のニーズに合わないのであれば、それはそのIDCの問題です。サービス範囲を拡大したメニューを提供しているIDCも既に出現しているのですから、そちらを検討すればよいのです。明らかに本末転倒です。

コンテクスト業務を抱え込むことの問題点

コンテクスト業務を社内に抱え込むと、どのような問題が起きてくるのでしょうか。一つはこれまで述べてきたように、マネジメント・アテンションを含む希少な経営資源を浪費し、競争優位性の獲得を阻害するという事業戦略上の問題です。

そしてもう一つは、「企業が、コンテクスト業務に従事する社員のキャリアパスを組めなくなる」という人事戦略上の問題です。この問題は、昨今の人材不足の時代において、極めて深刻な問題になってきています。

再び給与計算を例にとりましょう。給与計算というコンテクスト業務に従事している社員のキャリアパスを、企業は組むことができるのでしょうか。答えは明らかに「否」です。

今日、給与計算を担当している人は、たぶん5年後も変わることなく給与計算を担当しています。成果主義全盛の現在、給与計算という同じ業務を5年間続けたところで、報酬が大きく上昇する理由は見当たりません。

つまり給与計算を担当する社員は、間違いがあれば怒られるが、間違いを起こさなかったところで特に褒められもしないコンテクスト業務を、費用削減のアイデアを出しながら、報酬も上がらないままに今後5年間継続することになります。

給与計算の担当者は、給与データの締め日には体調が悪かろうが出社して、作業をこなさなければなりません。現状に見切りをつけて転職しようにも、後任がいないことには退職さえままなりません。企業にいたところで特に評価されるわけではない。しかし休んだり退職したりするとなると、とたんに企業は困ってしまう。コンテクスト業務とはそのような業務なのです。

そしてコンテクスト業務を社内に持ち続けるということは、そういったリスクを背負うことでもあるのです。

コンテクスト業務に就いている部下をもった管理職も大変です。給与計算の作業の中身はわからなくても、上司である以上はマネジメント・アテンションを発揮して、作業品質を確保しなければなりません。報酬が上がらないことを納得させながら、それでも退職させないように、ミスをおかさせないように、できることならモチベーションも高く保てるように管理するという作業は、かなり矛盾した、無理がある作業です。

この話を、情報システム部のサーバ監視を担当する社員に置き換えても、結論は同じです。コンテクスト業務を社内に抱え込むことは、マネジメント・アテンションを浪費するばかりでなく、キャリアを積むことができない社員を生み出してしまうのです。

コンテクスト業務の見分け方

最後に、コンテクスト業務を見分けるコツをお教えしましょう。ジェフリー・ムーア氏は、「モンキーテスト」を勧めています。

つまり、自分の頭の上のサルが、コア業務とコンテクスト業務のどちらに関係しているかを自問自答してみるのです。自分のマネジメント・アテンションが、企業の競争優位性の獲得にのみ費やされているのであれば、モンキーテストは合格です。しかし、企業の競争優位性とは無関係のコンテクスト業務に向かっているとするならば、方向の修正が必要です。

人事の専門家である当社ラクラスのモンキーテストはもう少しわかりやすいものです。それは、「年度目標を立てるときに、前年と同じ目標しか立てられないようだったら、それはコンテクスト業務である可能性が高い」というものです。

コンテクスト業務の特徴を思い起こしてください。それは、「効率の追求と失敗の不寛容」という2点に凝縮されます。

効率を追求するのであれば、「前年以下の経営資源で、前年以上の処理量をこなす」という年度目標にしかなりえません。失敗への不寛容という特徴からは、「前年よりもミスを減らす」という年度目標しか導き出されません。そして来年も再来年も、未来永劫この目標は変わらないのです。

失敗に不寛容な組織は、チャレンジを恐れるようになります。

その組織に入った新人が、新たな試みに挑戦したとしましょう。そんなとき周囲の人たちは、このように言って新人をたしなめます。「おい新人。いきなり立ち上がるんじゃない。舟が揺れるじゃないか」。そして組織は何事もなかったかのように、これまでと同じ仕事を続けていきます。

これがコア業務であれば、目標が毎年同じということはあり得ません。なぜなら、企業の競争優位性を規定する、サプライヤーとの関係、顧客との関係、競合、新規参入企業、および代替製品という5つの力は日々変化しているからです。企業はこれらの変化を察知し、戦略を練り直し、競争優位性を継続して生み出していかなければなりません。

失敗を恐れるよりも、新たな取り組みに挑戦することが求められます。コア業務に関して去年と同じ目標しか立てられなかったとしたならば、それは企業にとっての「死」を意味します。

前年とは違う年度目標を立てることに毎年苦労しているポジションがあったとしたならば、あるいは、変化を拒むことが習い性となっている組織があったとしたならば、それらはコンテクスト業務である可能性が高いと言えましょう。迷ったときは、是非、ラクラス式モンキーテストをお試しください。