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KITAHARA COLUMN キタハラコラム

第9回 クラウド経済学キタハラコラム

1. 人力に頼るビジネスモデル

あるときにはASP(Application Service Provider)、またあるときにはSaaS(Software as a Service)と呼ばれてきたサービスは、今では広く「クラウド」という名前で総称されるようになりました。今回のキタハラコラムでは「クラウドの本質」を、技術的な視点ではなく、それが企業経営に対してどのような経済価値を付与するのかという視点から解いていきたいと思います。

「戦略を考えるとき、常に重視されるのが規模の経済である」と経営戦略論の大御所リチャード・P・ルメルト氏が述べる通り(注1)、キーワードは当コラムですっかりお馴染みの「規模の経済」です。私はクラウドを、「規模の経済を一貫して追求し続けてきたコンピュータテクノロジーの一つの終着点」ととらえています。そこでまず、「規模の経済とは何か」という問いかけからおさらいしていきましょう。

規模の経済とは、「規模が大きくなるほど平均費用が少なくなる状況」を指します。そのような状況を作り出すためには、「処理量の増分」に比較して、その処理を行うのに必要な「資源量の増分が減少する」仕組みを創造しなければなりません。

規模の経済が小さい状況を表したのが、次のグラフです。処理量が多いか少ないかにかかわらず、常に一定の比率の資源量を消費することがわかります。代表例は、お客様からの問い合わせを電話で受け付けるコールセンターです。例えば、1時間に50本の問い合わせを10人のオペレータで処理する能力をもつコールセンターを考えてみましょう。問い合わせの数が処理量、そしてオペレータの数が資源量になります。
このコールセンターでは、問い合わせが2倍の100本に増えると、必要なオペレータの数は2倍の20人に増えます。10倍の500本であれば100人です。問い合わせの増加にしたがって、必要となるオペレータの人数は正比例で増えていきますから、この状況では規模の経済は効いていません。

コールセンターのマネージャーは、「1本の問い合わせを解決するのにかかる時間を短縮するために、お客様からの質問に対する回答を集めたデータベースを整備する」、「問い合わせの難易度を電話交換機で振り分けることにより、解決が容易な(したがって数の多い)問い合わせには、ジュニアな(したがって人件費の安い)オペレータを充当する」、「オペレータが常に稼働しているように、電話をかけてきたお客様の待ち行列ができるようにする」、あるいは「必要になるであろうオペレータの数を事前に予測する」といった手法を開発することにより、必要な資源量の増加を抑えようとします。

このような手法を採用することにより、1人のオペレータが処理できる量を増やしたり、雇用形態を工夫してオペレータの数を変動させやすくしたり、オペレータの数は同じであっても人件費という資源量を減らしたりすることができます。その結果として処理量が2倍に伸びたとしても、人件費の伸びを1.8倍に抑えることができるかもしれません。しかしこの状況を「規模の経済が大きい」と言うことはできません。 規模の経済が大きい状況とは、処理量の増分に比較して、その処理を行うのに必要な資源量の増分が「本質的に」減少していく仕組みが確立されている状況です。人力に頼るすべてのビジネスモデルは、大きな規模の経済を獲得することはできません。

注1:「良い戦略、悪い戦略」369頁、日本経済新聞出版社2013年

2. コンピュータによる規模の経済の獲得

次に、規模の経済が大きい状況を示したグラフを示します。下図右をご覧ください。規模の経済が大きい状況とは、処理に必要な資源量の増分が減少していく状態ですから、処理量の増加に伴ってグラフは横に寝ていきます。

好例は、コンピュータのバッチ処理です。バッチ処理とは、一定の形式に整えられた入力値を、あらかじめ決められた計算式により、一括して処理する方法を指します。コンピュータによる給与計算処理を具体例として説明しましょう。

バッチ処理を行うオペレータは、給与計算に必要な従業員の就労時間、基本給、諸手当、控除などの入力データを一定の形式に整えます。このデータをコンピュータに読み込ませると、コンピュータは、あらかじめ定められた計算式に従って繰り返し計算処理を行い、出力データを生成します。

給与計算のバッチ処理において、処理量とは給与計算の対象となる人数であり、必要な資源量とはコンピュータの使用時間です。規模の経済を大きく得ることができるバッチ処理においては、処理量と資源量の関係は上図右のようになります。処理量が10倍になったとしても、コンピュータの使用時間は10倍をはるかに下回るものになります。

コンピュータの処理速度が飛躍的に向上した今日、給与計算などの四則演算処理に必要とされるコンピュータの使用時間は、ほとんど無視できるほどに短くなりました。何百列×何千行のエクセルのワークシートであれ、一つのセルの値を変更するたびにすべての計算式は瞬時に自動実行されてしまいます。このことからも、コンピュータが極めて高い計算能力をもっていることは明らかです。ラクラスが使っている給与計算専用のソフトウェアを使えば、10万人分の計算処理は10分で完了します。

つまり、コンピュータの計算能力が著しく高まった結果、有り余るその能力をフルに活用できれば、1台のコンピュータで極めて多くの計算処理をできるようになってきたということです。処理に必要な資源量を、コンピュータの使用時間ではなくコンピュータの台数と定義すると、グラフは完全に水平になってしまいます。

私が、「規模の経済を一貫して追求し続けてきたコンピュータテクノロジーの一つの終着点」としてクラウドを位置づける理由は、ここにあります。今日の課題は、「有り余る能力を、フルに活用するための方法を探し出すこと」にあります。

3. 売上高と費用の構造

“次に、売上高と費用の構造を明らかにしましょう。

前回までの議論において、処理を遂行するのに必要な資源として、オペレータの数、コンピュータの使用時間、あるいはコンピュータの台数といった具体例を挙げました。これらの資源を金額に換算したものが「費用」です。

そして、従量制の料金体系を採るビジネスモデルにおいては、「売上高」は処理量に正比例します。したがって、売上高のグラフは右上がりの直線になります。

規模の経済が小さい状況と大きい状況における売上高と費用の関係を次に図示します。売上高が青、費用が赤です。下図左に示すのは、規模の経済が小さい状況のグラフです。規模の経済が小さい場合は、処理量の増加に応じて、費用も売上高も一定の割合で増加していきます。

そして上図右に示すのが、規模の経済が大きい状況のグラフです。この場合の費用は、固定部分と変動部分に分けて考えなければなりません。というのは、ほとんどすべてのケースにおいて、「規模の経済を作り出すための費用」というものが先行して固定的に発生するからです。

具体例を挙げれば、コンピュータを用いて給与計算を処理するのであれば、何はともあれハードとソフトを購入しなければならないということです。あるいはコンピュータを保守・管理するエンジニアが固定的に必要になります。そして、この固定費用(赤の点線)の上に、処理量の増加に伴って増分が減少する変動費用が加算されます。変動費用と固定費用を合計した費用が赤の実線で示されています。

4.利益の動き

次に処理量の増加に伴う利益の動き方をみていきましょう。

利益とは、売上高と費用の間のギャップです。グラフ上では、青の矢印で示されています。
上図左の規模の経済が小さい状況においては、規模の経済を生み出すための固定費用は必要ありません。したがって、売上高の傾きが費用の傾きよりも大きければ、最初から一定の割合の利益を得ることができます。売上に対する利益の割合は、処理量が増えても一定です。

規模の経済が大きい状況での利益の動きははるかに複雑です。
費用と売上高が同額となる損益分岐点に至るまでの間は、費用は売上高を上回り、赤の矢印で示す損失が発生します。固定費用は、たとえ処理量がゼロであっても(つまり売上高がゼロであっても)発生します。しかし、損益分岐点を過ぎた後の状況は一変します。規模の経済によって変動費用が十分に横に寝ていれば、青の矢印で示す利益は急速に増加することがわかります。

損益分岐点を過ぎた後の急速な利益の増加を実現するためには、損益分岐点を過ぎるまでの損失の時期を耐える必要があります。損失に耐えるためには、投資家に対して明確な事業計画を示し、必要な資金を集めなければなりません。そして、不退転の決意をもって事業計画を実行し、損益分岐点を超えなければなりません。超えない限り、手元には累積損失しか残りません。

大きな規模の経済を獲得するためには、確固たる事業戦略が必要なのです。

5.仮想化はもはやコモディティ

私は、「2.コンピュータによる規模の経済の獲得」の項の最後で、コンピュータによる規模の経済を活かすことができるかどうかは、コンピュータの有り余る能力を「フルに活用できるかにかかっている」と申し上げました。一つのシステムに投入できる処理量が大きければ大きいほど、大きな規模の経済を獲得できます。大きな規模の経済を得ることを計画できれば、利益の急速な増加を想定した事業戦略を立てることが可能になります。
つまりクラウドの本質とは、「一つのシステムに、その能力をフルに活用するだけの処理量を処理させることで、経済的な利益を獲得できる」という点にあります。企業がクラウドへと進むのは、まさにこの経済的な利益を手に入れようとするからです。

さて、クラウドというと真っ先に登場するのが「仮想化」という単語です。仮想化という単語自体は1960年代から存在しています。その意味するところは、「ハードウェアの余剰リソースを有効利用するための解決策の一つ」ということです。仮想化技術を用いれば、ユーザはサーバというハードウェアの能力を高いレベルで活用することができます。

仮想化技術は、既にコモディティです。仮想化のためのソフトウェアを自社で購入することもできますし、どのデータセンターも仮想化サービスを提供しています。仮想化による能力のフル活用は、もはや技術競争ではなく価格競争のステージに入っています。

「戦略とは差別化」を意味するのであるのなら、もはや企業は仮想化によって競争優位を築くことはできません。

6.マルチテナントによる差別化

仮想化は、ハードウェアの能力をフルに活用するための普遍的な技術であり、もはやコモディティです。したがって企業は、仮想化による規模の経済を獲得することはできても、それを自社の競争優位に活かすことはできません。サーバの仮想化は、競争のスタートラインに立つという程度の意味しかもっていません。

ラクラスは、ハードウェアを仮想化して処理量の上限を大きくすることに加えて、「マルチテナント」として複数のビジネスルール(業務処理を行うための規則、条件、判断基準等)を処理できるアプリケーションソフトウェアを開発することにより、一つのシステムの処理量の上限をさらに引き上げることを、重要な経営戦略の一つと位置付けてきました。

給与計算処理を例に、マルチテナントの特性を説明していきましょう。
給与計算処理を行うために必要なビジネスルール(規則、条件、判断基準等)は、就業規則、報酬規程、休暇規程、出向規程、あるいは人事部の内規という形で、企業ごとに定められています。そこには、基本給の決め方、諸手当の支給基準、時間外勤務手当の割増率、休暇取得の条件、小数点以下の数値をどこで四捨五入するか等に関する細かな規則、条件、判断基準が定められています。同様に人事情報を集めるための就業管理やワークフローも、大量のビジネスルールで構成されています。
これらのビジネスルールは、企業ごとに大きく異なります。この原稿を書いている2014年1月現在約150社50,000人のお客様にサービスを提供しているラクラスの経験から申し上げると、最も違いが大きいのは就業時間の計算ロジックです。その次にワークフローで流れる書類の内容や経路、給与計算ロジック、人事データベースの管理項目等が続きます。
ラクラスはマルチテナント技術を駆使することにより、ビジネスルールのまったく異なる複数の企業の人事情報処理を一つのアプリケーションソフトウェア上で稼働させています。これが大きな規模の経済を獲得につながっています。

マルチテナントに対して、一つのビジネスルールしか処理できないアプリケーションのことを「シングルテナント」と呼びます。これまで多くのアプリケーションは、シングルテナントとして機能する前提で開発されてきました。
その理由もまた、技術的なものではなく経済的なものであることに注意しなければなりません。マルチテナントとして開発するための技術的な壁があったわけではなく、事業戦略上その必要がなかったというのが私の理解です。なぜなら、これまでの給与計算の主流は、自社でハードウェアやソフトウェアを購入し、自社で設定作業を行い、自社の人材で計算処理を行う方法でした。給与計算ソフトであろうと会計ソフトであろうと、シングルテナントとして機能してくれれば十分だったのです。

ソフトウェアベンダーやその代理店にとってもシングルテナントのメリットはありました。給与体系がまったく異なる子会社ができれば、そのたびに新しいハードウェアとソフトウェアを販売できるチャンスができたからです。そのような環境下では、工数をかけてマルチテナントのソフトウェアを開発しようとするという経済的な動機は生まれません。ソフトウェアベンダーのビジネスモデルにおいて経済合理性があるのは、シングルテナントのソフトウェアを売ることだったのです。

7.マルチテナントが有効な業種

ここまで議論してきた通り、ハードウェアを仮想化しソフトウェアをマルチテナント化する目的は、一つの仕組みの中での処理数を増やすことにより規模の経済を最大化し、よって平均費用を削減することに他なりません。

あらゆる企業にとって、人事・給与といったコストセンター業務にかかる費用を削減するのは重要な課題です。しかし、その処理にかかる平均費用を削減することこそが、企業が解決すべき「本質的な課題」となるビジネスモデルは2つだけです。一つはアウトソーシング、そしてもう一つはシェアードサービスセンターです。

まずアウトソーシング業界についてお話しましょう。 私は、技術が競争優位にはなりえないことを明確に理解しています。高い経済価値を生み出す技術は、いずれは模倣されていきます。しかしこの原稿を書いている2014年1月現在において、マルチテナント技術を競争優位の源泉として戦略的に位置づけ、技術開発をさらに加速することを宣言している人事・給与アウトソーサはラクラスだけです。そこで創出した競争優位は、機能の充実あるいは価格の低減という形でお客様に還元していくことを、ここでお約束させていただきます。

海外に目を転じれば、人的資源管理(Human Capital Management)システムをクラウドで提供している米国Workday社がマルチテナントによるサービスを提供しています。同社とラクラスの設立が同じ2005年であることは偶然ではないはずです。ハードウェアの高機能化、BRMS (Business Rule Management System) 技術の進展、インターネットにおける価格破壊、「保有から利用へ」あるいは「ソフトウェアからサービスへ」といった一連のトレンドを見れば、規模の経済を大きくするための戦略は同じ方向性を示すはずです。

ラクラスを除く人事・給与アウトソーサは、シングルテナントのように見受けられます。新しい企業への導入作業をおこなうたびに、新たなシングルテナントのシステムを構築しているようです。したがって、1,000名以上(少なくとも500人以上)の企業でない限り、BPOサービスは提供していません。そこにあるのは経済的な理由です。シングルテナントでは、1,000名という処理数がない限り損益分岐点に達することができないからです。それに対してラクラスのBPOサービスは、数十人から数千人まで幅広いお客様にご利用いただいております。

たとえ1,000名以上の企業に同質のサービスを提供したとしても、マルチテナントの優位性は明らかです。
下図左には、複数のシングルテナントを構築した場合のグラフが示されています。それぞれにシングルテナントの固定費用が発生するのは既に説明した通りです。加えてシングルテナントでは、その企業の社員数以上に処理数の上限を伸ばすことができないという欠点を抱えていることがわかります。損益分岐点を超えたとしても、すぐに規模の上限がやってきてしまうのです。
下図右がマルチテナントです。ビジネスルールが異なる複数の企業を一つのシステムで処理することができれば、一企業の社員数が上限にはなるようなことはありません。アウトソーサは、ハードウェアの能力の限界の上限まで処理数を増やすことができるのです。変動費用を十分に寝かすことにより、利益は加速度的に増加していくはずです。

私がマルチテナントを、「規模の経済を一貫して追求し続けてきたコンピュータテクノロジーの一つの終着点」ととらえる理由はここにあります。

8. シェアードサービスセンターこそマルチテナントを

マルチテナントが有効なもう一つの分野は、大企業グループのシェアードサービスセンターです(以下SSCと略します : Shared Service Center)。

「6.マルチテナントによる差別化」の項で述べた通り、自社が保有する設備と人材により、単一の給与体系を計算処理するのであれば、シングルテナントで十分です。一つの給与体系が適用される全社員数が処理数の上限とわかっているのであれば、マルチテナントを導入する経済合理性はないのです。

しかし、大企業グループのSSCに対しては、マルチテナントという解決策が極めて大きな費用削減効果をもつこと、そしてそれが既に提供されている技術であることを、もっと知っていただきたいと思います。大企業グループには、大きな規模の経済を得るのに十分なだけの社員数がいます。にもかかわらず、給与体系が複数あるために、シングルテナントの集積になってしまっています。企業の本業ではないコストセンターで多大な費用を消費することほど、無駄なことはありません。

親会社および親会社と同じ給与体系の子会社に対しては、大規模人事・給与パッケージをカスタマイズして利用する。それ以外の子会社に対しては小規模だが柔軟な人事・給与パッケージを利用する。複数の仕組みがあることで業務が煩雑になるばかりか、システムごとに人が張り付き業務が属人化してしまっている。組織は硬直化しローテーションもままならない。このような事態に直面しているSSCは決して少なくありません。

ラクラスは、このような悩みをもつ大企業グループのSSCのためのシェアードサービスソリューションを提供しています。
提供形態も様々です。専用のプライベートクラウドによるサービス、お客様のネットワーク内にサーバを置くオンプレミスでのサービス、企業グループ内の複数企業間を流れるワークフロー、あるいはラクラスのシステムを用いたオフショアアウトソーシング等を提供してきました。

大企業グループのSSCには、マルチテナントが企業経営に対して与える莫大な経済価値を是非とも研究していただきたいと思います。